PTSD(心的外傷後ストレス障害)

PTSDは、命の危険を感じる事故や災害、暴力、虐待などの重大なストレス体験にさらされた後に発症する精神障害です。DSM-5-TRでは、実際または予期された死や重傷、性暴力に直接遭遇する、目撃する、あるいは家族や友人が遭遇するなどの外傷的出来事に曝露した後に特有の症状が1か月以上続く場合に診断されます。体験した出来事の記憶が何度もよみがえり、時間が経っても恐怖や緊張が消えない状態が続きますが、これは心的外傷に対する正常な反応であり、本人が弱いから起こるものではありません。

統計と実態

世界保健機関の報告では、人は誰でも一生のうちに外傷的な出来事に遭遇する可能性があり、約7割が何らかのトラウマを経験するとされています。しかし、心的外傷後ストレス障害(PTSD)まで発展するのは5〜6%程度で、世界人口の約4%が現在PTSDに苦しんでいます。戦争や暴力が続く地域では有病率が15%を超えることもあり、特に女性や若年者、過去にトラウマや精神疾患を経験した人、社会的支援が乏しい人でリスクが高まります。多くの患者は時間の経過とともに症状が軽減し、発症から1年以内に40%ほどが回復すると報告されていますが、低・中所得国では治療を受けられるのは4人に1人程度と限られています。PTSDは決して本人の弱さではなく、外傷体験に対する自然な反応であり、専門的な支援により回復が可能であることを理解することが重要です。

主な症状

PTSDの症状は4つのクラスターに分類されます。

  • 侵入症状 – フラッシュバック、悪夢、想起に伴う強い苦痛や身体反応。
  • 回避 – 外傷を連想させる場所・人・活動・会話の回避。
  • 認知と気分の否定的変化 – 否定的信念、罪悪感・恥の持続、疎外感、重要部分の想起困難など。
  • 覚醒と反応性の変化 – 過覚醒、集中困難、過度な警戒、驚愕反応の亢進、怒りの爆発、不眠。

これらの症状は単独で現れることもあれば組み合わさることもあり、うつ病や不安障害、アルコール依存症などを伴うこともあります。症状の現れ方は個人の性別や年齢、文化的背景、外傷の種類によって異なり、時には解離症状や記憶障害が強く出る人もいます。例えば、戦争体験者では音や光に対する過敏さが目立つことが多く、性的被害を受けた人では対人関係や自己評価に深い影響が残る傾向があります。周囲の理解不足や再び危険に遭遇する不安が症状を悪化させることもあるため、当事者が安全で信頼できる環境の中で症状に向き合えるよう支えることが重要です。

原因・リスク要因

PTSDは戦争や大災害、暴力犯罪、性的虐待、交通事故など極度のストレス体験がきっかけとなります。発症のリスクは、外傷の重症度や長さ、身体的傷害、以前の精神疾患、幼少期のトラウマ、家族歴、社会的サポートの欠如などによって高まります。誰でも発症する可能性があり、早期に適切な支援を受けることで慢性化を防ぐことができます。

治療法

治療はトラウマ焦点心理療法が中心です。持続エクスポージャー療法、認知処理療法(CPT)、トラウマ焦点型認知行動療法などは、トラウマの記憶や関連する思考・感情に段階的に向き合うことで恐怖反応を弱め、症状の改善が期待できます。眼球運動による脱感作再処理法(EMDR)やグループ療法も有効であり、日常生活でのストレス管理、睡眠と運動の改善、リラクゼーション法の習得を組み合わせます。

各心理療法には共通の構造があります。治療開始時には心理教育を行い、トラウマ反応の仕組みや治療の進め方を説明し、自己責任感や恥の感情を和らげます。その後、段階的なエクスポージャーイメージ再処理を通じて辛い記憶に安全に触れ、回避を少しずつ減らします。認知処理療法や認知療法では、外傷体験を原因に生じた否定的な信念や歪んだ認知を見つめ直し、自責感や過度な罪悪感を和らげます。介入は通常8〜12回のセッションで行われ、セラピストと協働して練習課題や再発予防計画を立てることが推奨されています。家族や支援者の協力を得て安全な環境を整えることも、治療効果を高めるために重要です。

薬物療法

補助的治療としてSSRI(セルトラリン、パロキセチン)やSNRI(ベンラファキシン)が第一選択薬です。悪夢にはプラゾシン等が検討されることもあります。短期的な睡眠薬の併用はあり得ますが、依存リスクに注意します。薬物療法は心理療法の補助であり、併用が推奨されます。

国際的な治療ガイドラインでは、心理療法が実施できない場合や患者が薬物療法を希望する場合に限り薬物療法を勧めています。抗うつ薬ではセルトラリンやパロキセチンのほか、同系統の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)や血中ノルアドレナリンも作用するベンラファキシンなどの選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)が推奨され、少なくとも12週間の継続服用が必要です。症状の改善が乏しい場合には医師が用量の調整や別薬剤への切り替えを検討し、効果と副作用のバランスをモニタリングします。抗精神病薬やベンゾジアゼピン系薬は副作用や依存のリスクから第一選択とされず、強い興奮や妄想がある場合などのみに慎重に使用されます。

セルフケア・サポート

つらい体験を抱え込まず、信頼できる家族や友人、支援団体とつながることが回復を助けます。規則正しい睡眠や食事、適度な運動、深呼吸やヨガなどのリラクゼーション法も有効です。アルコールやドラッグは症状を悪化させることが多いため避けましょう。症状が長引く場合は我慢せず、早めに専門機関へ相談してください。

自宅でできるセルフケアには他にもさまざまな方法があります。日記を書くことや創作活動を通じて自分の感情を表現することは、内面を整理する手助けになります。マインドフルネスや瞑想、呼吸法は過去にとらわれず現在の感覚に注意を向ける練習に役立ちます。散歩や水泳など中等度の身体活動は、ストレスホルモンのレベルを下げ睡眠を改善します。さらに、同じ経験を持つ人々と話し合える当事者会やピアサポートグループに参加すると孤立感が軽減し、自分の感情の正常さを再確認できます。各自治体の相談窓口や24時間対応の電話相談サービスなど公的資源を活用することも、早期介入につながります。

国際的なガイドラインと治療のポイント

PTSDの治療に関するガイドラインは世界各地で作成されており、共通してトラウマ焦点心理療法を第一選択とする点が特徴です。米国の家庭医ガイドラインでは、トラウマ焦点認知行動療法や持続エクスポージャー療法などの心理療法を全ての患者に提供すべきであり、心理療法が困難な場合や残存症状がある場合にSSRIやSNRIなどの薬物療法を検討すると勧めています。また、夜間の悪夢には高血圧薬プラゾシンを使用し、睡眠時無呼吸など身体合併症の評価も重要とされています。

英国の国立医療技術評価機構(NICE)のガイドラインや欧州のレビューでは、トラウマ焦点型認知行動療法に加えて眼球運動による脱感作再処理法(EMDR)が有効かつ費用対効果の高い治療とされています。これらの治療は継続的なサポートを伴うステップケアの一環として提供され、デジタル技術やバーチャルリアリティなど新しい治療法の研究も進められています。

日本ではPTSDに特化した公的な診療ガイドラインがまだ整備されておらず、多くの場合、米国や欧州のガイドラインに基づく治療が行われています。日本の精神科医を対象とした調査でも、国際ガイドラインに準じた診断と治療が行われていることが報告されています。文化や個人の背景に配慮しながら早期に専門家へ相談し、心理療法と薬物療法を組み合わせることが回復への近道とされています。

2020年代に更新された多くの国際ガイドラインは、PTSDの治療計画に関してより具体的な記述を加えています。例えばNICEガイドラインでは、成人に対して外傷から1か月以上経過した場合は個別のトラウマ焦点CBTを提供することを推奨しており、治療は標準化されたマニュアルに基づき8〜12回、週1回程度実施するよう示されています。また、非戦闘関連の外傷で発症後1〜3か月の成人にはEMDRを検討することが推奨され、両眼の水平運動などの二側性刺激を用いながら安全にトラウマ記憶にアプローチする方法が詳述されています。ガイドラインは薬物療法を予防目的では使用しないよう強調し、薬物療法を希望する場合にはベンラファキシンやセルトラリンを検討し、効果を定期的に評価するよう指示しています。また、PTSDと抑うつが併存する場合にはPTSDへの治療を優先し、重度のうつ症状がある場合には安全性を考慮したうえで併用治療を行うよう助言しています。

米国の国際トラウマストレス学会(ISTSS)や欧州精神医学会のレビューでも、暴露療法、認知処理療法、認知療法、そしてEMDRが推奨治療とされています。特に暴露療法は恐怖反応の消失や新たな安全記憶の獲得を促し、認知処理療法では外傷に伴う信念や意味付けを検討します。これらの介入は症状の重症度や患者の希望、利用可能なサービスに応じて組み合わせて行われます。薬物療法ではSSRISNRIsが一次選択とされ、セルトラリンとパロキセチンは米国食品医薬品局の適応承認を受けています。一方、α1受容体遮断薬プラゾシンは悪夢や睡眠障害への補助薬として扱われ、ガイドラインでは長期的な安全性と有効性を確認しながら慎重に使用するよう勧めています。

参考文献

  • World Health Organization. Post‑traumatic stress disorder. 2023.
  • Trauma Resource Institute. PTSD prevalence and statistics.
  • National Institute for Health and Care Excellence (NICE). Post‑traumatic stress disorder: recognition, assessment and management. 2018 (最終更新2025年).
  • International Society for Traumatic Stress Studies (ISTSS). Guidelines for the prevention and treatment of post‑traumatic stress disorder. 2018.
  • U.S. Department of Veterans Affairs & Department of Defense. Clinical practice guideline for the management of post‑traumatic stress disorder. 2017.
  • BMJ Open. Augmentation strategies for trauma‑focused psychotherapy in post‑traumatic stress disorder. 2023.
穏やかな海辺の風景